今日は、私の秘密をお話ししたいと思います。毒親育ち限界突破チャンネルのかおりです。YouTubeではお伝えしていませんが、実は私も毒親育ちです。
YouTube内でそれを公言していない理由があります。それは、私の母親や父親の耳に入る恐れがあるからです。親には育ててもらったことに感謝していますが、私の幼少期がとても厳しいものであったこともまた事実です。ブログでは、そのことを率直に綴っていきたいと思います。こういうエピソードならたくさんあるので。
私の家庭はとても厳しく、しつけが厳格でした。これだけ聞くと、昭和の教育の一環と思われるかもしれませんが、実態は少し違います。例えば、小学校3〜4年生の頃から家事を当たり前のように任されていました。母にとって、それは「良い母親になるための教育」だったようです。しかし、怒鳴られたり、やり方が違うとなじられたりする洗濯や掃除、食事の準備などは、私にとってただの苦行でしかありませんでした。
そんな私には、とても心強い味方がいました。それが、同じ年の姉です。そう、私たちは双子なのです。私たちはいつも「うちの母親は怖い」「昨日はこんな事言われた」とお互いに愚痴をこぼし、傷を分かち合っていました。
そして、私たちには6歳下の弟がいました。彼はまるで王子様のように育てられ、私たちとはまったく違う扱いを受けていました。例えば、食事は用意され、家事をする必要もなく、「可愛い、可愛い」と甘やかされて育ちました。一方で、私たちは「シンデレラ」のように家事を課せられ、厳しく管理されていました。
ただ、誤解してほしくないのは、弟自身もまたある意味で被害者だったということです。彼は母に溺愛され、守られすぎた結果、自立する機会を奪われていたのです。私たち姉妹は「お殿様」扱いされる弟をよく思えず、家庭内ではさまざまな葛藤が生まれていました。
そんな家庭環境の中で、私たちは高校受験に向けた「ドラマ」を経験しました。小学校高学年の頃から、塾や教材が用意され、勉強漬けの生活を送ることを求められました。母にはどうしても私たちに通わせたい高校がありました。それは、彼女自身が若い頃に中退した高校でした。中学校の頃から「あなたたちはここに行きなさい!」と何度も言われ続け、まるで洗脳のようでした。結局その高校に入学したのは姉だけでしたが・・。
部活から帰宅すると、夜8時から10時まで部屋に閉じ込められ、勉強することを強制されました。50分ごとに10分の休憩が許されるという「学校が終わっても学校」のような生活でした。それだけでなく、門限は厳しく、週末の外出も制限されていました。服もほとんど親が選び与え、自由な小遣いももらえず、何もかも管理されていたのです。
長年、支配された環境で育つと、自分の意思で行動することができなくなります。私と姉が実家を出て二人で暮らし始めたとき、自由になったはずなのに、何をしていいのか分からずに戸惑いました。週末にカラオケに行っても、楽しむことができず、心にぽっかり穴が空いたような気がしました。自由の生活が手に入っても、何が楽しいのかわからないのです。
まるで籠の中の鳥が、自分が飛べることを忘れてしまったかのように。
今振り返ると、あの頃の私は母の操り人形のような存在でした。母の価値観や願望の中で生き、そこから抜け出すことができませんでした。
ですが、今は違います。私は、自分の人生を自分の意志で歩んでいます。過去の経験は消えません。けれど、それがあるからこそ、私は「毒親育ちでも、自分らしく生きることはできる」と伝えたいのです。
先日、母からカナダで暮らす私にこう言われました。
「あなたは強いわね」
その言葉を聞いたとき、私は心の中でこう思いました。
「あなたがいたから、私は強くなれたのです」と。
もし、今この文章を読んでいるあなたが、同じような経験をしているのなら、伝えたいことがあります。
あなたは、過去に縛られる必要はありません。
あなたには、自由に生きる権利があります。
そして、自分の人生を取り戻すことは、必ずできます。